あのよう、知ってりゃーすか
税のミニ歴史講座
大島良満さんのお話し
(元愛知県評役員・消費税をなくす愛知の会代表世話人)

【1】税の誕生 【2】日本の税の歴史 【3】酷税と民主主義
【4】所得税のはじまり 【5】日中・太平洋戦争と税 【6】間接税の歴史

【2】日本の税の歴史
 
 あのなも、日本の税制の姶まりはなも、大宝律令(701年)からだといわれとる。「租・庸・調」だわなも。租は、口分田一反に付き稲一束五把(収穫量の三%相当)だったげな。

人頭石の前を歩かせて

 庸は・成人男子は毎年10日間の歳役が課せられたんだと。物納で代替するときはなも、布二丈六尺か米なら六斗だったんだげな。兵役におもむく時は、往復の食料は自分持ちだったんだと。
 調は成人男子の人頭税ともいわれ、繊維製品、海産物など土地の産物を徴収したんだと(麻布の場合、一人について二丈八尺だったげな)。
 人頭税といえば、沖縄県の宮古島や竹富島に人頭石が、いまも残っとることを知っていりゃーすか。沖縄は琉球といわれ、徳川時代に薩摩藩が支配しとったげな。人頭税を取るために、村民を人頭石の前を順番に歩かせてなも、頭が人頭石を越えると課税対象者とされたげな。
 イギリスのサッチャー首相が選挙で敗れ、退陣に追い込まれたのは、人頭税を導入したので、英国民の強い反対運動の結果だわなも。
年貢はなも、平安時代から荘園領主や大名によって農民に課せられたものだわー。米納のほかに、絹・木材などの物納を強いられたげな。

関銭という通行税

 足利時代になると、隣国との境などに関所を作って、関銭という通行税を取ったんだわ。
ヨーロッパのライン河沿いに城が多いのは、領主が眺めを楽しむことより、通行税を取るためだったんだげな。イギリスの内国歳入庁長官の応接室にはなも、今でも税金を取り立てる時に使用した銃が壁に飾ったるんだと。
 豊臣時代に太閤検地を全国的に実施(慶長3年・1598年)。一間は六尺三分、田一反は三〇〇歩と定め、増税をやったんだと。また、刀狩りをやって、農民の武装力を奪っただげな。

決死の覚悟で百姓一揆

 徳川時代は、五公五民など収穫物の半分以上も取り上げられ、都市の商人には、冥加金・運上金が課税されたんだげな。重税に苦しめられた農民は、黙っとったわけではなかったぜーも。決死の覚悟で各地で、百姓一揆に立ち上がったんだわー。そのエネルギーが、徳川幕府を追いつめていったんだわなも。
 現代のわしらも、重税に反対するための知恵とエネルギーは見習わなあかんなも。

(つづく)