危うい咼市氏の憲法観―党派的な理想社会を分断(「東京」)、国旗損壊罪の新設案 罰則で表現を抑え込む不条理(「朝日」)
2026年5月31日
【東京新聞】5月29日 危うい咼市氏の憲法観―党派的な理想社会を分断
5月29日付「東京新聞」6面に掲載された早稲田大教授・長谷部恭男さんの投稿の一部を以下にご紹介します。
4月12日の自民党大会で高市早苗総裁(首相)は「どのような国をつくり上げたいのか、その理想の姿を物語るものが憲法」だとし、そのために憲法を改正する「時は来ました」と述べた。彼女の憲法観とその危うさが、ここに示されている。
日本国憲法を支える理念は、多様な価値観・世界観を抱く人々が公平に生きることを保障する近代立憲主義である。理想は人がそれぞれ決め、各人がその実現を目指して生きる。「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条) とは、そのことを表している。
逆に言えば、一部の人々のみが理想とする国の姿を憲法に畫き込むと、憲法自体が国論を二分し、社会を分断する文書となってしまう。党派的な理想を憲法に書き込むべきではない。
どのような人であれ、生きていく上で、こういう社会であってほしいと思う共通の理想はあるだろう。生まれや性別や信条によって差別されない社会(14条)、誰もが自分の考えを自由に表現できる社会(21条)、子どもがみな十分な教育を受けられる社会(26条)、働く能力のある人が働ける社会(27条)、大人になれば誰もが政治に参加できる社会(15条)などである。
しかし、そうした誰もが望む理想は、既に今の憲法に書き込まれている。必要なのはそれを具体化する制度と政策である。それ以上に、どんな「理想」を憲法に書き込もうというのか。
(中略)
高市氏は、「憲法改正」に向けて行うべきは「議論のための議論」ではなく「決断のための議論」だと言う。決まった結論が念頭にあっての言葉であろう。民主主義の下で議会の審議は、結論を出すための単なるプロセスではない。衆知を集め、国を誤った方向へ導かないための歯止めである。
議論を軽んじてはいけない。
(はせベ・やすお=早稲田大教授)
【朝日新聞】5月22日 (社説)国旗損壊罪の新設案 罰則で表現を抑え込む不条理
国旗への忠誠を誓う言葉を唱和するよう公立学校に義務づける法案が米ミネソタ州議会に提出された。法案は2002年に議会を通過したが、当時の知事が拒否権を発動。理由を次のように説明した。
賢明な政府は、市民からの忠誠と尊敬を勝ち取るが、政府はそれを強要すべきでない。愛国心は心の底から生まれる、自発的なものだ。いかなる法律も市民を愛国者に仕立てることはできない――。
いま、高市早苗首相にこの言葉はどう響くだろう。
自民党は、自国の国旗を傷つける行為を処罰する「国旗損壊罪」を新設する準備を進めている。
■窒息する表現の自由
法案の骨子案によると、立法目的は「国旗を大切に思う一般的な国民の感情を保護」するためという。
むろん、国旗を誇りに思う人や、国旗を粗末に扱う行為に不快感を覚える人も少なくないだろう。ただ、「自国の国旗を大切に思う」のが「一般的な国民の感情」と決めつけるのはいかがなものか。
国旗に対する思いも、自国を大切に思っていることを示すありようも人それぞれだ。
国旗は、権力の象徴でもある。国を思えばこその、国に対するやむにやまれぬ抗議や批判を、国旗へのアクションを通じて意思表示することは、政治的表現の最たるものだ。それを罰するとなれば、政治的表現自体を抑圧し、封じ込める象徴ともなろう。
香港では、中国による支配に抗議して国旗を燃やしたり逆さまに掲げたりした学生や活動家らが、相次いで逮捕されている。このような社会のあり方が望ましいだろうか。
思想や表現は多種多様なものだ。それに「一般的な感情」という包み紙をかぶせてしまえば、多数派が自らの考えを「一般的」だとして、少数派を強権的に排除していくことにつながりかねない。
骨子案では、国旗を傷つける意図や目的は問わず、「著しく不快な感情を抱かせる方法で公然と損壊、除去、汚損する」行為や、それを自ら撮影した画像・動画をネット上に投稿する行為を対象に、「外形的・客観的に」適用を判断するという。「表現の自由を侵害しないよう」との趣旨とされるが、表現の自由が脅かされるのは間違いない。
想像してほしい。現代美術家が、日の丸に政権への批判を寄せ書き風に重ねた作品を仕上げた。戦争を描く映像作家が、国旗が焼け落ちる動画を配信した――。こうした行為のどこまでが罪に当たり、誰が線を引くのだろうか。待っているのは、捜査機関が「著しく不快」と判断すれば罰されうる社会だ。表現は萎縮し、窒息していく。国家統制のため反政府的な言動を弾圧する道具となった治安維持法の歴史を思い起こしたい。
■刑罰で強制が適当か
与党には、外国国旗を損壊すれば刑法の外国国章損壊罪で処罰されるのに、日本国旗に規定がないのはアンバランスだ、との意見がある。
だが同罪は刑法の「国交に関する罪」の一部に置かれ、円滑な外交のための規定とする解釈が有力だ。日本国旗の損壊で国交上の不利益が生じる可能性は低く、主張は妥当ではないといえる。また、他人が所有する日本国旗の損壊であれば器物損壊罪が適用される可能性があり、現行法で一定の対応は可能だ。
そもそも刑罰は、国家権力の最も強い行使で、必要最低限に留めなければならない。他の手段では利益を守れない時に限り、最終手段として用いるのが基本的な考え方だ。
世界にはフランスやドイツ、イタリア、中国のように自国旗の損壊を罰する規定をもつ国もあれば、英国やカナダなどもたない国もある。処罰規定があっても、欧州では表現の自由を保障する人権条約があり、運用は限定的だ。
日本では1999年の国旗国歌法制定時、国民に尊重するよう義務づける規定や損壊行為の処罰化は盛り込まれなかった。「国家の威信の保護の在り方として処罰をもって強制することが適当かという根本的な問題がある」との小渕恵三内閣の答弁書を、四半世紀たったいま確認したい。
戦後80年が経過してなお、日の丸は侵略戦争の暗い影や、個人よりも国家が尊重される時代の記憶につながることも忘れてはならない。
■復古主義志向の中で
国旗損壊罪の創設は、自民党にある復古的なものを志向する政策群の中の一つとして位置づけられ、高市氏が長年訴えてきた。1月のネット番組でも「日本の名誉を守る上でも必要な法律」と語った。しかし、刑罰による威嚇をもって国家の体面を保とうとするなら筋違いだし、そんな威嚇で得られた「敬意」に、どんな意味があるのだろうか。
党内にも「立法は不要」「処罰は行き過ぎだ」との異論もある。今国会の成立をめざすというが、議論が熟したとはいいがたい。
息苦しさを覚えたとき、失ったものの大きさに、はたと気づく。そんな事態は避けなければならない。国旗損壊罪創設に、反対する。
消費税をなくす全国の会