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米国と新自由主義―萩原伸次郎氏に聞く ①、②、③,④、⑤(「赤旗」)
2022年6月4日
【赤旗】5月31日 米国と新自由主義①
 新自由主義を世界に広めた米国で新自由主義からの脱却をめざす動きが活発化しています。萩原伸次郎横浜国立大学名誉教授に聞きました。(杉本恒如)

―新自由主義を推進してきたのはどんな勢力でしょうか。
 新自由主義は英国のマーガレット・サッチャー政権、米国のロナルド・レーガン政権、日本の中曽根康弘政権が実施した政策によって始まりました。1970年代末から80年代のことです。第2次世界大戦後の「規制された資本主義」から「規制撤廃の資本主義」への転換がめざされました。主導したのは米国の金融勢力です。
◆投機を自由化
 戦後の「IMF(国際通貨基金)・GATT(関税貿易一般協定)体制」は、各国政府間で為替レートを固定する固定相場制を基軸に成り立っていました。為替相場のかく乱要因となる国際的資本取引、とりわけ投機的取引は厳しく規制されました。為替相場を安定させることで、国際貿易を活発化し、各国の金融政策の自立性を保つシステムでした。国内の金融システムにも金利規制や業態規制が課せられました。金融機関の自由な経営や利益追求には制限がありました。
 しかし企業・金融機関の多国籍化が進むにつれ、国際資本取引の自由化が企業側の要求となりました。73年以降、世界の為替システムは変動相場制に移行し、投機的取引も含めた国際資本取引の自由化が進みました。70年代末から80年代にかけて米国は国内の金融システム規制も撤廃する方向にかじを切ります。多国籍企業・金融機関の主導で世界経済システムの規制が撤廃されていきました。
◆社会主義の力
―新由主義以前の「規制された資本主義」はなぜ出現したのですか。
 英国の著名な経済学者ケインズが主張した経済政策が指導理論となったためです。ケインズ主義と呼ばれます。1929年に始まる世界大恐慌で、資本主義社会には失業者が満ちあふれました。この経済危機を産業企業活動の活発化によって脱出する処方箋を書いたのがケインズでした。
 ケインズは金融投機の横行が大恐慌を深刻にしたことを重視し、金融の規制、とりわけ投機活動の抑え込みを強く主張しました。財政政策を軸とする実体経済重視の政策を政府が積極的に採用すべきだと説いたのです。
 第2次世界大戦から戦後の時期に世界経済をリードした米国では、石油、自動車、電機などの新興産業が勃興していました。実体経済重視のケインズ政策は米国の輸出産業の利害と合致しました。
 さらに米国では30年代のローズベルト民主党政権の民主的政策によって労働組合運動が活発になりました。巨大産業企業の経営者と労働組合が生産者階級として連携する階級連合が経済政策の基軸を形成します。この階級連合は「ケインズ連合」と呼ばれました。
 株主配当は低く抑えられ、巨大産業労働者の高賃金と巨大産業の高利潤が実現されました。株価が上昇せずに経済成長が持続する、実体経済を軸とした経済が出現しました。
 労働者階級に一定の譲歩をし、自由放任主義を転換して危機を脱出するというケインズの処方箋が受容された背景に、社会主義運動の圧力がありました。資本主義諸国が大恐慌に見舞われた当時、計画経済を進めたソビエト連邦では経済成長が続き、失業のない経済が実現していました。ソ連が募集した熟練労働者6千人の求人に米国から10万人の応募者が殺到するという事態が起こりました。残念ながらスターリンらの誤りによってソ連の内実は社会主義と無縁の人間抑圧社会に変質し始めていましたが、世界各国で「生産者が主役」の社会主義をめざす運動が高揚しました。このままでは社会主義に負ける、という危機意識が資本主義諸国を覆ったのです。
 他方で米国のケインズ主義は、政府の財政支出で巨大な軍需産業へ巨額な有効需要を注入し、高成長を実現させるという色彩を濃く帯びました。ケインズの弟子の一人、英国の経済学者ジョーン・ロビンソンは、批判的にそれを「軍事ケインズ主義」と呼びました。(つづく)(5 回連載です)

【赤旗】6月1日 米国と新自由主義②
―新自由主義がケインズ主義を敵視したのはなぜですか。
 ケインズ主義は、租税・財政政策を大いに利用して、実体経済を軸とする持続的な経済成長を実現しようとします。累進課税制度によって富裕層と大企業から徴税し、社会保障を通じて低・中所得層に再分配する政策を是認します。それは、個人消費を活発にして有効需要を喚起し、企業の設備投資を促す政策だからです。需要が不足するなら国家の財政支出政策で有効需要を注入し、不況を乗り切って持続的な経済成長を実現しようとします。
 持続的な経済成長にとって不都合な金融市場の投機的取引は、内外ともに厳重に規制します。「企業活動が投機の渦巻きに翻弄(ほんろう)される泡沫(ほうまつ)になってしまうと、事は重大な局面を迎える」(『雇用、利子および貨幣の一般理論』)というケインズの言葉は有名です。ところが、多国籍化した大企業と金融機関は、累進課税や社会保障制度、金融規制を障害とみなします。ですから、新自由主義は一言でいえば反ケインズ主義なのです。
 米国の多国籍企業は1970年代に、低賃金を求めて中南米やアジアの発展途上国に生産設備を移転し始めました。相対的低賃金を背景にした西ドイツや日本の対米輸出攻勢に対抗するために、第三世界の低賃金を利用したのです。米国の労働者は、企業の海外移転によって米国内に取り残され、職を失う不利益を被りました。こうして、米国の「ケインズ連合」は崩壊しました。
◆自由化の実現
―新自由主義は米国の金融覇権とどんな関係がありますか。
 米国では、レーガン政権期に金融自由化が一気に進みました。金利規制や金融機関の業態規制が自由化され、金融機関の収益が急速に増大しました。実体経済の持続的成長に代わって、金融資産の蓄積が急速に進むことになりました。
 米国では、古くから投資銀行が大きな役割を果たしてきました。証券市場で有価証券を発行・販売する業務に関わり、金融収益を上げる金融機関です。株式市場の活発化が収益増加の源となります。
 レーガン政権以降、米国の投資銀行は世界的に国際資本取引の自由化を求め、実現していきます。米国の金融機関が世界の金融市場を股にかけ、利益を求めて自由に資本を動かし、他国の経済を支配する仕組みができあがっていきます。新自由主義的な金融自由化の普及によって、米国が世界中で金融覇権を行使するシステムがつくられたといえます。
 米国の金融覇権が確立したのは、クリントン政権期だといわれています。1999年に金融サービス近代化法(通称グラム・リーチ・ブライリー法)が成立したからです。この法律によって、持ち株会社の下で商業銀行と投資銀行を合併することが可能になりました。
◆危機もたらす
 米国では、33年に成立したグラス・スティーガル法によって商業銀行と投資銀行が分離されていました。世界大恐慌の反省に立って実施された金融規制でした。20年代に、商業銀行は投資銀行に対して株式投機に関わる大量の貸し付けを行い、その破綻から29年10月の株価大崩落を引き起こしたのです。
 戦後の国際通貨体制においても、ケインズの提唱によって、投機を抑え込む国際資本取引の規制が実施されました。ケインズ主義が有効性を発揮している間は、投機が横行して金融危機が勃発する事態は起こらなかったといっていいでしょう。
 しかし、国際的資本取引の自由化が推進され、国内でも金融自由化が実施されると、世界経済に金融危機をもたらす要因が形成されます。顕著な例は97年のアジア金融危機です。
 90年代後半に高度成長した東アジアは、世界の投資資本を大量にひきつけていました。ところが、96年にタイで輸出主導の成長が崩壊し、世界の投資資本が一斉に引き揚げました。タイの危機はフィリピン、マレーシア、インドネシアに飛び火しました。国際資本取引の自由化を徹底的に推し進めた新自由主義的世界経済がもたらした金融危機だったこは明らかです。(つづく)

【赤旗】6月2日 米国と新自由主義③
―世界で金融白田化が進んだ1990年代以降、金融危機が頻発しています。
 クリントン政権期に確立した米国の新自由主義的金融覇権は、2008年になると今度は米国で金融危機を引き起こしました。1930年代大恐慌の再来といわれる世界経済危機となっていきました。これは米国の「新自由主義的景気循環」による危機でした。
◆米国型の金融
 新自由主義的景気循環とは、金融資産の蓄積が基軸になって展開する景気循環のことです。株価が上がれば消費が拡大し、株価が下がれば消賛が停滞します。実体経済を軸とした戦後高度成長期の景気循環と異なるメカニズムに着目し、私が命名しました。
 持ち株会社を通じた商業銀行と投資銀行の合併は、商業銀行の直接金融への参入を促しました。直接金融は、証券市場で債券や株式などを投資家に直接売って、企業が資金調達する仕組みです。銀行融資は落ち込み、企業の資金調達が基本的に株式市場を通じて行われる直接金融システムが形成されました。この米国型金融システムが新自由主義的景気循環を生み出し、米国民の経済状況を金融資産市場に大きく依存させることになりました。
 米国では、クリントン政権期の93年以降に展開した景気循環が典型です。株式市場が急成長し、金融資産が蓄積されて好景気となりましたが、2000年のバブル崩壊で景気が急速に後退しました。
 さらに01年、プッシュ政権期に住宅資産市場が急成長し、住宅資産の蓄積を基軸とする景気循環が起こります。この景気循環は08年9月のリーマン・ショックという金融危機に帰結します。
 新自由主義的景気循環では、金融機関による大量の信用拡大が金融資産や住宅資産を膨張させ、好景気をもたらします。しかし所得・資産格差の拡大によって社会の消費能力はやがて限界にぶつかります。すると、債務返済能力が低下して信用拡大の循環は破綻し、債務返済不能の連鎖から金融危機が引き起こされるのです。
◆総中流の崩壊
―米国の金融覇権は日本経済にどんな変化をもたらしましたか。
 米国の金融覇権は日本にも金融自由化要求を突きつけ、実行させてきました。
 レーガン政権期の1984年4月に中曽根康弘政権が先物為替取引の実需原則を撤廃し、同年6月に円転換規制を撤廃しました。先物為替の実需原則とは、純粋に投機を目的とする先物為替取引を抑制するために戦後とった措置です。円転換規制は、海外からの投機的資本の国内流通を水際で防ぐ規制でした。投機的取引を妨げるこれらの規制について、世界の投資ファンドが撤廃を要求したのです。
 金融自由化の極め付きは、橋本龍太郎政権による98年の金融システム改革です。銀行、証券、信託、保険などあらゆる金融業務を持ち株会社によって統合することを可能にしました。同じ年に「外国為替及び外国貿易法」を改定し、自由な内外取引環境を整備しました。
 こうして、外国ファンドの日本金融市場への自由な参入が可能となり、米国の投資ファンドがわが物顔で日本金融市場を席巻する時代が始まりました。金融覇権を狙う米国の戦略に、日本はまんまとはめられたのです。
 2001年に始まる小泉純一郎政権の「構造改革」もその延長線上に存在しました。直接金融システムへの転換など、米国が求める新自由主義的経済政策を進めました。郵政民営化の目的も「貯蓄から投資へ」の転換の阻害要因を取り除くことでした。社会保障費を削減し、派遣労働を製造業にも認め、労働条件を大改悪しました。
 株式売却益を狙う投資ファンドの要求が優先され、賃金は上がらず、株式市場と大企業の内部留保のみが膨張する格差社会が出現しました。「一億総中流」といわれた1970~80年代の日本経済のあり方は崩壊しました。
 岸田文雄政権の「新しい資本主義」は、新自由主義に基づく政策が深刻な事態をもたらしたことを認めるかのよっな姿勢をとりながら、実はその政策を相も変わらず着々と実行するものです。巧妙なだましの手口です。(つづく)

【赤旗】6月3日 米国と新自由主義④
―米国のトランプ前政権の経済政策をどうみますか。
 トランプ政権は2017年12月に「減税および雇用法」を制定し、法人税率を35%から21%に引き下げ、加速度的減価償却を企業に認めました。最低賃金の上昇などには一切触れず、金融規制の撤廃を進めました。全国民の医療保険加入をめざした「オバマケア」については、加入義務規定を外しました。「規制改革をすれば経済は発展する」ということをいい続けたのです。明確に新自由主義的な経済政策です。
 新白田主義的経済政策の特徴は、企業減税や規制改革によって企業コストを削減し、資本蓄積を擁護することです。レーガン政権期の企業減税がたいへん有名です。サプライサイド(供給側)経済学などといわれたものですが、内実は、実体経済よりも株式などの金融資産の蓄積を優遇する政策だといえるでしょう。人件費や法人税負担などの企業コストが削減されて利益が増大し、株主配当が増額されれば、株価が上昇して金融資産は膨張していくのです。
 米国では20年初めに新型コロナウイルス感染症が広がり始めました。ところが、トランプ氏は「春の風と共に感染症は消え去る」などという非科学的な独断で対策の遅れを生じさせました。20年11月の大統領選挙に勝つために経済活動を持続させようとして、米国に新型コロナの大流行を招いた責任は免れないでしょう。
◆約18万円給付
―バイデン現政権の経済政策はどうなっていますか。
 バイデン政権は21年3月11日、新型コロナ大流行への対策を目的とした「アメリカ救済計画法」を成立させました。この救済計画法に基づく財政支出は総額1兆9000億㌦であり、主な支出項目は次の通りでした。
 ▽国民に1人1400㌦(約18万円)を現金給付する。ただし年収7万5000㌦(約975万円)を超す人への給付は段階的に減額し、年収8 万㌦を超す人は対象外とする。
 ▽9月上旬まで継続して失業給付に週300㌦を加算する。
 ▽そのほか、ワクチンの普及や感染検査などに1090億㌦、学校の対面授業再開支援などに1700億㌦、中小企業の従業員給与・費用肩代わりに480億㌦、州・地方支援に3500億㌦を支出する。
 バイデン政権は、教育、医療、環境保護分野に力を入れるもよいうです。軍拡を進めたトランプ政権と異なり、軍事に関しては前年並みとなるはずでした。しかし、今年2月24日に勃発したロシアのウクライナ侵略に対して、ウクライナへの軍事支援を継続的に行う予定で、軍事費の増加が見込まれます。一方で、米国内の世論をみると、ウクライナへの軍事支援で米国が中心となることに賛成する人が減少する傾向にあります。バイデン大統領がどのような判断をするのかが注目されます。
◆法人税を増税
 もうーつ重要なのは租税政策です。バイデン政権は、富裕層や大企業が税金を支払っていないことに批判的です。トランプ政権で21%に引き下げられた連邦法人税率を28%に上昇させ、所得40万㌦以上の納税者には「減税および雇用法」による減税などの優遇措置を停止するという税制改革を掲げています。
 さらに、イエレン財務長官は、法人税減税の世界的な「底辺への競争」を終わらせると宣言し、巨大多国籍企業に公正に課税する国際的な最低法人税率の導入を訴えてきました。法人税減税の世界的な競争が法人税の基盤をむしばみ、「必要不可欠な公共財投資や危機対応への十分な財源を得る安定した税制度」の実現を困難にしてきたと指摘したのです。そのうえで、「多国籍企業への公平な課税を通じて世界経済を強くするために、国際的最低税率導入を活用できる」と強調しました。
 国際協調を推し進めながら自国の法人税率を引き上げ、新自由主義的な租税政策からの脱却をめざす考えを表明したものです。トランプ前政権の新自由主義的経済政策を転換する方向性は明確です。(つづく)

【赤旗】6月4日 米国と新自由主義⑤
―バイデン政権の雇用政策はどうなっていますか。
 トランプ前大統領はただの一度も連邦最低賃金の大幅上昇を政策に掲げていません。低賃金でも働きたい人がいるなら結構なことだと主張しています。
 それに対してバイデン大統領は、連邦最低賃金時給15㌦を公約に掲げ、2021年3月11日に成立した「アメリカ救済計画法」に含ませることを目指しました。この条項は下院議会を通過したものの、共和党の反対に加えて民主党議員からも反対が出て上院を通りませんでした。
 けれどもバイデン大統領は4月27日、連邦政府と契約する業者の従業員に最低賃金時給15㌦を保障する大統領令に署名しました。さらに米国の各州で最低賃金を時給15㌦に引き上げる法案が通過しています。
 連邦最低賃金時給15㌦を実現するためには、連邦議会に進歩派議員を増やさなければなりません。ニューヨーク州選出のアレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員、バーモント州選出のバーニー・サンダース上院議員、マサチューセッツ州選出のエリザベス・ウォーレン上院議員のよつな人たちです。
◆若者が変えた
―バイデン政権が新自由主義からの脱却をめざす背景にどんな運動がありますか。
 米国で新自由主義からの転換をめざす政策が始まったのは、世界経済危機のさなかの09年に誕生した民主党オバマ政権のときです。しかし10年11月の中間選挙で大富豪のコーク兄弟に操られたティーパーティー派の運動によって連邦下院の多数を共和党が占め、まともな政策が一向に通らない危機的状況に追い込まれました。
 この政治状況を変え始めたのが、若者を中心とする「ウォール街を占拠せよ」の運動でした。1%の富裕層に乗っ取られた政治を99%の普通の国民の政治に変えようと呼びかけたのです。この運動の力でオバマ大統領が12年11月の選挙で再選されました。
 オバマ政権の政策実行は共和党に阻まれ、16年11月の大統領選ではトランプ政権が誕生して新自由主義的経済政策が復権しました。しかしその大統領選で「民主的社会主義」を掲げるサンダース候補が旋風を巻き起こしました。サンダース氏の政策は1933年に誕生したローズベルト民主党政権の政策を踏襲したものでした。公的年金や最低賃金、金融規制などのローズベルト政権の政策は当時「社会主義的」だと批判されました。サンダース氏は、それらの「社会主義的」政策こそが米国を形作り、中間層の基盤になったのだと訴え、大きな共感を得たのです。
 2018年11月の中間選挙では、サンダース氏の提唱する「メディケア・フォー・オール」(すべての人に健康保険を)というキャッチフレーズで、多くの進歩派民主党議員が誕生しました。この運動が土台となり、20年大統領選でトランプ大統領の再選が阻止され、バイデン民主党大統領が誕生しました。バイデン氏は中道派の政治家ですが、民主党進歩派との連携で大統領になりましたから、新自由主義政策からの転換を進めようとしているのです。米国版「市民と野党の共闘」によってバイデン政権は誕生したといえます。
◆99%を主役に
 サンダース氏は自伝の中で「ユージン・ヴィクター・デブスは私のヒーローだ」と書いています。デプスはアメリカ社会党を創設したマルクス主義者で、気骨の人でした。「彼は、大企業ではなく働く人々が国の経済的・政治的生活を支配するような、本当の民主主義社会を実現するために闘った。彼はアメリカ鉄道労働組合を創設し、この国の最も強い権力のいくつかに対する激しいストライキを指導した。彼は労働者階級の国際連帯を信じ、第1次世界大戦に反対したために何年か投獄された」(『バーニー・サンダース自伝』)
 米国議会にはサンダース氏を中心として進歩派議員連盟の議員が100人存在し、革新的な政策を掲げて米国の政治変革に立ち向かっています。その底流には、「99%の普通の国民が政治・経済の主役になる」という「民主的社会主義」思想への共感の広がりがあるといえるでしょう。(おわり)