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消費税また増税論―負担能力にあわせて課税するのが筋
2020年9月19日
【赤旗日曜版】9月20日
消費税また増税論―負担能力にあわせて課税するのが筋 
 政府の月例経済報告は今年2月まで「(景気は)穏やかに回復している」という景気判断を続けました。昨年1月には、茂木敏充経済再生担当相(当時)が、「景気回復期間が戦後最長になったとみられる」と記者会見で語っていました。 
 ところが今年7月末、 内閣府の景気郵動向指数研究会」(座長=吉川洋・立正大学長は、2012年12月から始まった景気拡大が18年10月で終わり、翌月から後退局面に入っていたことを公式に認めました。
 景気が悪化しているにもかかわらず、自公政権は景気回復が続いていると強弁し、19年10月に消費税率を10%に引き上げたことになります。
 これ以降、実質GDP(国内総生産)は3期連続でマイナスに落ち込みました。新型コロナの影醤が重なった20年4~6月期の実質GDPは、前期に比べマイナス28・1%(8日発表の2次速報値)と、戦後最大の下落となりました。
 こうした事懇を招いているのに、政権に反省はありません。
 政府税制調査会(首相の諮問機関)の8月5日の総会では、早くも「消費税増税を中核に据えた骨太の議論が必要だ」という意見が出ています。昨年の政府税調の中期答申で、「消費税の役割が一層重要になっている」としていたことを受けた議論です。
 自民党税制調査会の甘利明会長は8月14日、消費税は「社会保障とひも付き、社会の安定要因になっている税」であり、「消費税の税率引き下げには反対」だと発言。菅義偉・新総裁は消費税増税の必要性に言及しています。 
 学者の中にも「社会保障の財源の中心は消費税」であるとして、消費税の減税を否定し、いずれ増税が必要だと唱える人がいます。
 とんでもありません。1989年4月の消費税導入後の31年間、社会保障は連続して給付減・負担増となり、国と地方の借金は246兆円から1100兆円と4倍以上にふえました。
 31年間の消費税収は累計で397兆円に上ります。しかし、大企業向けの減税や消費税増税による景気悪化などによって法人税、法人事業税、法人住民税の法人3税は累計で298兆円も減りました。金持ち減税が繰り返された所得税・住民税も、累計で275兆円のマイナスとなっています。消費税収は大企業・富裕層の減税に消えていったも同然です。
 新型コロナ対策のための第1次・2次の補正予算総額は57兆6028億円、財源は全額を国債でまかないます。この国債の返済財源についても、憲法上の応能負担原則(応能原則)を貫くことが重要です。 
 消費税を下げて庶民の懐を温めることが求められます。私も代表委員を務める「不公平な税制をただす会」は、法人税と所得税(5億円超の相続財産への超過課税を含む)を総合累進課税にしただけでも、41兆円の財源が生まれることを明らかにしています。
 浦野広明(うらの・ひろあき 立正大学客員教授)

【47NEWS】(全国新聞ネット)9月17日 菅内閣誕生で完成「2012年体制」の悪夢 二階氏が後継指名した最大の狙いは
 安倍晋三首相が突然の辞任表明記者会見をするや否や、瞬く間に菅義偉官房長官を後継とする流れが二階俊博自民党幹事長によって作られ、2週間余りのメディア旋風を経て首相指名がなされた。いったい何が終わり、何が変わるのか、あるいは変わらないのか。分かるようで分からない有権者も少なくないのではないか。(上智大学教授=中野晃一)
 ■安倍政権か、安倍内閣か
 まず「内閣」「政権」「体制」という、政治に関わる基礎的な概念の整理から入ることとしよう。
 言うまでもなく内閣は、最もシンプルには首相と閣僚、つまり政治家からなる政府のトップのことである。広義では、これに各省庁の官僚制を含めた政府全体を指すこともある。
国会議事堂© 全国新聞ネット 国会議事堂
 これに対して政権は、首相や閣僚たちで構成する内閣に加えて、一方ではその指揮下にある官僚制、そしてもう一方では立法府で政府を支える与党を含む。つまり、内閣と政権は重なる概念である。
 ところが内閣が行政府のみを指し、三権分立の下、国会にある与党とも緊張関係に立ちうる別個の組織であるのに対して、政権は、英国型の議院内閣制に倣って政府と与党の一体化を強調する点が決定的に異なる。
 体制となるとさらに概念は広がる。それは、与党だけでなく野党を含めた政党システムのあり方や、政府と市民社会の関係、憲法はじめ法体系などまでも包摂し、通常、より安定的なものである。
 かつて冷戦期に、政権交代が起きないまま自民党政権が38年続いた政治システムは1955年体制と呼ばれ、その下では内閣の交代や改造が頻繁になされていた。
1955年11月に開かれた自民党結成大会© 全国新聞ネット 1955年11月に開かれた自民党結成大会
 さて、本稿で論じたいのは、2012年12月26日から7年8カ月の長きにわたり続いた安倍首相の下で形成されたのが「安倍内閣」あるいは「安倍政権」だったのか、はたまた「2012年体制」とも呼ぶべきものなのか、そして菅への交代によって変わる、あるいは継承され定着が図られるのは何なのか、である。
 (中略)
 菅が、安倍や二階によって後継首相に選ばれたのは、安倍内閣が倒れても、安倍政権を存続させ、その取り組んできた体制変革を定着させるのに最適な人物だからにほかならない。
自民党新総裁に決まり、登壇する菅義偉氏(中央)を見つめる安倍晋三氏。左は二階俊博氏=9月14日、東京都内のホテル© 全国新聞ネット 自民党新総裁に決まり、登壇する菅義偉氏(中央)を見つめる安倍晋三氏。左は二階俊博氏=9月14日、東京都内のホテル
 安倍政権とそのミッションを引き継ぐ以外に当面存在基盤がない以上、まずは菅内閣が安倍内閣にとって代わっただけで(用語法の変化を反映して菅政権との呼称が多用されるにしても)、実態としては安倍政権がそっくりそのまま続くと言って差し支えない。
 しかし、もし継承したはずの政権枠組みが早晩崩れるようなことがあったら、菅内閣は短命に終わるだろう。他方、菅内閣が安定し長期化した暁には、安倍政権に始まった2012年体制が内閣の交代を経てもなお存続することになり、アカウンタビリティーのない政治がニュー・ノーマルとして常態化することになる。
 菅内閣誕生のご祝儀相場に便乗した早期の解散総選挙がうわさされるが、現在のタガが外れた政治体制の起点に民主党の崩壊があることを想起すると、新生・立憲民主党を中心とした野党共闘が有権者に対して選択肢を示すことができるか、日本政治は重大な岐路に立っていると言わざるを得ない。