浜矩子「アホノミクスを継ぐスカノミクスに欠けているのは、豊かさの中の貧困問題への対策だ」
2020年9月12日
【デイリースポーツ】9月8日 小沢一郎氏 安倍路線の継承とは「国会軽視」…コロナ審議の臨時国会開かず逃げた
小沢一郎衆議院議員が8日、ツイッターに新規投稿。安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選が告示され、安倍政権の基本路線を継承することをかかげている候補者がいることに疑問符を付けた。
小沢氏は「安倍路線の継承。安倍政権の最大の特色とは国会軽視。審議を嫌がり、とにかく国会に出てこない。コロナ審議の臨時国会は開かずじまい。最後まで逃げ続けた」と安倍政権が野党などから再三国会を開くように求められたにもかかわらず開かなかったことを指摘。
「国会を無視してやりたい放題というのは副総理が学べと言ったナチスの手口と同じ」と麻生太郎氏がかつて「憲法は、ある日気付いたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気付かないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述べたことに触れた。小沢氏は「路線の継承が何を意味するか、冷静に考えないといけない」と投稿した。
【HUFFPOST】9月10日「自助・共助・公助」という呪い。まずは自己責任。そして共倒れするまで助け合え
「自助・共助・公助」
自民党総裁選を控えた菅義偉官房長官がこのところ強調している言葉だ。
(2020年9月9日の「雨宮処凛がゆく!」掲載記事「第532回:「自助・共助・公助」〜「共倒れするまで助け合え」という呪い(雨宮処凛)」より転載。)
― <一部抜粋部分>
(以下引用)
「まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います」
(以上引用)
9月2日に出演したニュース番組での発言だ。それ以外の場でも「自助・共助・公助」と書かれたフリップを持ち、この言葉をアピールしている。
さて、貧困の現場で16年間活動している私なりにこの言葉を通訳すると、
「自助」とは「自己責任で自分でなんとかしろ」
「共助」とは、「一家心中するまで家族で助け合え」「共倒れするまで地域で助け合え」
「公助」は、「何もかも失わないと公的福祉は機能しないからやっぱり自己責任でなんとかしろ」
という意味である。
この言葉について書きたいことは山ほどあって、どこから書いていいのかわからない。
が、公助ということで言えば、第二次安倍政権以前から社会保障費は削減され、年金、医療、介護、生活保護などが引き下げられたり自己負担が増やされたりしてきた。そのような社会保障費削減は、長い時間をかけてまずは共助を支える「家族」を痛めつけてきた。一億総中流と言われた時代は多くの家族がセーフティネットの役割を果たせたが、「家族」「親」「実家」がセーフティネットになり得なくなったのだ。だからこそ、2007年頃から「ネットカフェ難民」という形で比較的若い世代のホームレス化が始まったのだろう。
さて、それでは「共助」を支える「地域」はどうか。自民党は「地方創生」などとブチ上げているが、なぜそのような言葉を強調し、地方創生担当大臣のポストまで作らなければいけないかというと、それほどに地方が疲弊しているからだ。
私の地元は北海道の小さな市だが、実家に帰るたびに駅前は空洞化し、すでに商店街だった頃の面影もなく、高齢化と人口減少がすごいスピードで進んでいることをまざまざと感じる。そのような地方の衰退の原因のひとつとしてよく挙げられるのが大店法(大規模小売店舗法)。1974年に中小小売店の保護などを目的として施行、一定程度の面積を超える出店を届け出制にすることで規制したものだが、90年代、規制は緩和され、郊外に巨大なショッピングモールが建設されていく。
この流れは日本に住むある年齢以上の人であれば、変化をまさに目のあたりにしてきたことだろう。そんなふうに規制緩和によって地方の衰退を進めてきた当人たちが今、「地方創生」とか言っていること自体が大いなる茶番にしか思えないのは私だけではないはずだ。ちなみに政府は地方のシャッター通り対策として、空き店舗への課税強化という方針を打ち出してもいた。なんだか年貢に苦しむ農民にさらに重い年貢を課す悪い殿様みたいな話ではないか。
このように、家族や地域の余力を奪ってきたのがこの「失われた30年」の政治だと思う。それを奪う政治を先頭で進めてきた政党の人間が今、堂々と「共助」を持ち出すことに対して「いや、それ脆弱化させたの誰?」と突っ込みたくなるのだ。
ここまで読んで、「なんでそんなにキレてるのかわからない」という人もいるだろう。
<以下略>
【AERA dot.】9月10日 浜矩子「アホノミクスを継ぐスカノミクスに欠けているのは、豊かさの中の貧困問題への対策だ」
安倍首相が辞任表明した。病気はお気の毒だが、やれやれだ。だが、これで筆者も打倒アホノミクスでは商売が出来なくなると思えば、少々途方にくれる。
もっとも、もし後任が菅義偉官房長官になるのであれば、アホノミクス路線がそのまま踏襲されることになりそうだ。その場合には、筆者もこれまでと同様の攻撃の構えで行ける。ただ、ネーミングはアホノミクスから「スガ首相」の「スカノミクス」に変えてもいいかもしれない。
それはともかく、今の日本経済が必要としているのは、アホでもスカでもないまっとうな政策的手助けだ。経済政策は、経済活動に対する外付け装置だ。経済活動が、その内なる自律性によってはうまく回らなくなった時、政策という名の外付け装置がレスキューに乗り出す。この関係がしっかり確立していなければならない。
今こそ、この関係の堅固さが問われる。パンデミックという壮絶な外的ショックを前にして、経済活動の内なる自律性は微力だ。こういう時こそ、空白を埋めるためレスキュー隊が出動する必要がある。速やかで的確な出動が求められる。魂のこもった出動でなければならない。場当たり的で点数稼ぎ的で心無い出動は百害あって一利なしだ。
アホでもスカでもない経済政策には、魂と同時に涙がなければならない。人のために流す涙だ。他者の痛みに思いを馳せた時、溢れ出る涙だ。この間の経済運営には、魂も涙も、かけらほども無かった。
魂と涙ある経済政策が、これからの日本経済のために取り組むべき課題は何か。当面のコロナ対応の向こう側に待ち受けているテーマは何か。それは、コロナ問題が発生する前から日本経済に内在していた問題だ。豊かさの中の貧困問題である。
今の日本は豊かな国だ。大いなる富を誇っている。ところが、いわゆる相対的貧困率が2017年時点で15.7%に達していた(OECD調べ)。42カ国中、15位の高さだ。最も相対的貧困率が低かったアイスランドの5.4%に比して、あまりにも見劣りが著しい。この裕福な国のこの恥ずべき状況を何とかする。それが、アホでもスカでもない経済政策の最大の課題だ。