【朝日新聞】10月23日 自民・竹下氏「消費税10%打ち止めとはいかない」
来年の10月から、消費税を上げることを安倍内閣は閣議決定した。正直に言いまして、(消費税が)10%で打ち止めというわけにはいかないと感じております。いくらになるかは予想はできませんが、まだ上げなければ、財政再建には寄与できない。
消費税を上げる、あるいは別の税金で増税をする。誰も喜びません。必ず選挙にまた負けます。しかし、やらなきゃならんのです。それが、政権を担当する我々が背負わなければならない荷物である。
世論は反対、マスコミも大反対する(中で)やった政治家は、何人かいる。竹下登が、消費税3%を導入した。消費税がなかったら、日本経済はとっくに破綻(はたん)している。
共通するのは(世論の反対が強かった政治決定をした)三つの内閣とも、直後に倒れているんです。倒れたっていい。内閣の一つや二つ倒れたって、国のためになるのなら、何の痛手でもない。政治家は、そういう腹を持って仕事をしなければならない。(北九州市での講演で)
【赤旗日曜版】12月2日 アベノミクスで大株主天国―異常な株買い支え、軽い税で資産膨張
「アペノミクス」による株価上昇で超大株主の資産が膨張し、格差がますます拡大しています。
有価証券報告書(企業が毎年公表する開示資料)に記された大株主の保有株式数に、各時点の株価をかければ、大株主が保有している株式の時価総額が計算できます。
安倍政権が発足した2012年末には保有株式時価総額が1千億円以上の株主は12人、時価総額は計3.5兆円でした。
ところが今年9月末の株価で計算すると1千億円以上は58人、時価総額は17.6兆円と、5年9カ月で5倍に増えました。トップはソフトバンクの孫正義氏の3.1兆円。ユニクロの柳井正氏は1.6兆円で3位ですが、妻と恵子2人も1千億円以上で、家族あわせると2.8兆円です。
こうした富裕層の資産膨張は安倍政権が進める「アベノミクス」のおかげです。曰銀が「異次元金融緩和」と称して大量の国債を買い、マネーをばらまいたことで、行き場のない大量の投機マネーが株式市場に流れ込み、株価を引き上げました。安倍晋三首相は金融機関が集中するニュ-ヨークやロンドンの金融街を訪問し、「曰本株を買ってほしい」と海外投資家にセールスしました。
円安による為替差益や相次ぐ法人税減税で大企業の利益が増えたことも株高に貢献しました。
加えて、株価が下がりそうになると、公的年金の積立金や曰銀の資金を株式市場に投入するという、異常な株価対策が行われました。この結果、曰本の株式時価総額の1割以上を「公的マネー」が占めるという世界でも例を見ない事態になっています。
こうした安倍政権の「株価最優先」の政策総動員の結果、大株主の資産が膨れ上がったのです。
これだけもうけたら、「さぞかし税金をたくさん払っているのでは」と思われるかもしれません。でも、そうではありません。保有株式を売って何十億円、何百億円もの利益を手にしても、税金は庶民の預貯金の利子とまったく同じ、税率20%(復興特別所得税を含めても20.315%)にすぎません。
配当も巨額です。大株主の場合、配当は総合課税(ほかの所得と合算して所得税・住民税を課税)なので、最高では50%近い税金がかかります。ただし、それは本人名義の株式だけです。
実は、超大株主の多くは、保有株式の一部を自分がつくった資産管理会社の名義に移しており、この分の配当には所得税がかかりません。58人の大株主が保有する17.6兆円のうち9兆円が資産管理会社名義になっていますから、平均すれば20%ちょっとの課税しかされない計算です。
欧米諸国では、こうした富裕層の株のもうけには30%前後の税金がかかります。まさに、曰本は「株主天国」です。社会保障などで財源が必要だというなら、消費税増税を国民におしつけるのではなく、こうした超大株主などに適正な負担を求めるべきです。<垣内亮(かきうち。あきら曰本共産党政委員会)>
【週刊女性PRIME】11月27日カルロス・ゴーンが苦しめた人々の声続々、変わらぬ “俺様ぶり” に怒りの再来
「ゴーン氏のモラルがわからない。高額報酬に批判があり、それを嫌って約50億円のお金をもらっていないように見せかけたってことでしょう?
批判されたくなければもらわなければいいのに、嘘つきじゃないですか。お金を公明正大に使っていたら、工場を閉鎖したり、従業員を解雇しなくても会社を立て直せたんじゃないのか、と思えてきて悔しい……」と憤るのは、かつて東京都武蔵村山市・立川市にあった日産自動車村山工場で働いていた元従業員の60代男性。
▸閉鎖された工場
工場閉鎖を断行したのは、金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に11月19日に逮捕された同社元会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)。
1999年、約2兆円の負債を抱えていた日産に乗り込むと、再建計画「日産リバイバルプラン」を発表し、同工場など国内5工場の閉鎖を決め、取引先の部品メーカーなどの見直しを行い、日産グループ全体で約2万1000人の従業員を削減した。
ゴーン容疑者はこのとき、「(リバイバルプランを)成功させるためには、どれだけ多くの努力や痛み、犠牲が必要となるか、私にも痛いほどわかっているが、ほかに選択肢はない」と述べている。
業績をV字回復させて日産を立て直したことは間違いない。しかし、その言葉が心底から発せられていたものかは疑わしくなってきた。
同工場はJR立川駅から車で約15分。139万平方キロメートル、東京ドーム約29個分という広大な敷地でスカイラインや初代グロリア、マーチ、キューブなど主力車種を生産していた。2001年に車両生産工場は閉鎖され、一部残されていた製造部門も'04年に完全閉鎖した。
ゴーン容疑者は報酬隠しのほか同社の資金を私的に利用した疑いもある。
会社の金でフランスやブラジル、レバノンなど世界6か国に高級住宅を購入、自身の結婚式費用も捻出したとみられている。自分の財布と会社の財布の区別もつかないのか、元従業員らからはゴーン容疑者に対する“恨み節”が噴出する。
当時、日産自動車栃木工場に勤めていた元従業員男性は、「リストラされた人の多くは50〜60代だった。親の介護や子どもの学校などのため転居できずに会社を辞めた人もいます。再就職がうまくいかなかった人や、退職金で飲食店を始めた同僚もいましたが、彼らはゴーン氏逮捕のニュースをどんな思いで受け止めたのか」
と思いを馳せる。当時50代だった知人がリストラされた、と話す元下請け会社の男性は、「その知人は下請け会社に再就職したけれど、日産時代のことは一切話さないんです」と切られた従業員の心の傷の深さをほのめかす。
▸追い込まれた従業員
村山工場でフォークリフトのエンジン設計などを担当し、全日本金属情報機器労働組合日産自動車支部で書記長だった境繁樹氏(75)は、「リバイバルプランが発表されたとき村山工場では約3000人が働いていた。私たち組合の調べでは710人が神奈川県横須賀市の追浜工場に異動、1010人が栃木県上三川町の栃木工場に異動するなど、車種や業務に合わせて転勤を余儀なくされました」と振り返る。
境氏によると、転勤するしかない従業員は家族の生活などを考え、その多くが単身赴任を決めたという。
しかし、例えば栃木工場で会社が用意したのは狭くて不便な独身寮だった。会社に尽くしてきたベテラン従業員はみな6畳ひと間に押し込められ、冷蔵庫を置くスペースもなく、トイレ・風呂・洗濯機は共同使用という生活を送った。
耐え切れずにマイホームを手放して家族で引っ越した者もいれば、仕事を辞めた者もいた。ストレスなどから離婚した夫婦も少なくなかったという。
「結局、'01年4月までに元村山工場出身の退職者は620人以上にのぼった。60歳まで勤め上げた定年退職者は100人程度にすぎなかった。つまり、従業員のほとんどは退職に追い込まれたんです」 と前出の境氏。
大規模リストラ後、会社は労働力不足を補うため派遣や非正規労働者の雇用を進めたが、ゴーン容疑者はリーマン・ショックに直面した'09年に派遣社員や非正規社員など2万人のクビをまた切った。
「ゴーン氏は、従業員の生活を向上させようという観点が全くない人間だった」(境氏)
▸ゴーンの俺様ぶり
怒りの声を上げるのは従業員だけではない。村山工場の跡地を訪ねると、元“日産の街”でも恨み節が……。
「工場閉鎖で大勢の人が泣きました。従業員とその家族だけでなく、部品を作っていた下請け工場、地域の飲食店や商店など日産に関わっていた人がみんな涙した」
と話すのは、日産通りにある飲食店の70代店主。
現在、通りで工場稼働当時から営業を続けているのはほんの数店舗だけという。
「日産がダメになって街が死んでしまった。急に過疎が進み、今もそれを引きずっています。ゴーン氏は村山工場をためらいなく潰し、閉鎖後も気にかけることはありませんでした。事件は悔しいし、許せない! ちゃんと日本の裁判で裁いて刑務所に入れてほしい。じゃないと納得がいかない!」(前出の店主)
栃木工場の別の元従業員は、「就任当時、ゴーン氏が“再建するぞ”と張り切って仕事をしていた姿を見ていただけに非常に残念です。汗水流して働いて会社を守ろうとした思いは、根底では私たちとは一緒ではなかったんだな、と思いました。会社から“働け、働け”で、これまで働いてきた私たちは怒りますよ」
カリスマ経営者の素顔は、“銭ゲバ”だけではない。ゴーン容疑者の俺様ぶりを示すエピソードがある。
「就任してすぐうちの会社にゴーン氏が視察に来ると言い出し、そのとき赤絨毯を用意しろと要求されたんです」と明かすのは日産関連会社の男性役員(70代)。ハリウッドスターじゃあるまいし、冗談だろうと思ったら、どうやら本気。社内で慌てて準備したという。
「ゴーン氏は視察当日、本当に赤絨毯の上しか歩きませんでした。しかも、ちょろちょろっとだけ。何様のつもりなんだ、と思いましたね。日本で仕事をしているのに日本語を覚えないし、通訳がいるので会話に困ったことはありませんが、信頼関係は何度会っても築けませんでした」(前出・関連会社役員)
さて、村山工場の跡地周辺をずいぶん歩いた。工場があったことを偲ばせるのは敷地の一画だった場所にある公園内の“スカイライン発祥の地”という碑文だけ。
前出・飲食店店主は言う。「私は日産の車が好きだし、日産の街っていうことが誇りでした。でも、もう元には戻せない」
▸ゴーン容疑者の罪は重い。